もへみ庵

少女の心を研磨し続けるアラサー奮闘記

survive for bravery

ハローハロー。It's Mohemian Rhapsody.

 

季節があっという間に過ぎ去って、今年がもう四十六日かそこらしか残っていないということに驚きを禁じ得ない。…………というわけでも、実は、ない。

なぜなら年末に向けて何かを特別に巻いていかなければならない環境にいるわけではなく、年末年始という一つの区切りみたいなものをあまり重要視しているわけでもない、からだと思う。

 

半年ぶりに開いてみたブログ。本来はもっと色々頑張って凝った記事を作りたいなぁなんて自分に期待して開設してはみたものの、想像以上に大変な上に本当に「何を書いたらいいのかわからない」という状態に陥ってしまったため、綺麗な三日坊主になってしまったわけですね。

じゃあ何でまたカタカタキーボード叩いているのかといったら、まあ、ある意味パッションというかインパルスというか、そういったものが蠢きだしてきて、でもどうしようどうやって発散・昇華しようと思った時に思い出したのがここ。いてくれてありがとう。過去の私GJ。

 

最近のテーマが「自他境界線の曖昧さ」ということについて。

社会というものに飛び込んでから、どうにも自分がぱっとしないというか、ずっと寂しさみたなものも抱えているし、あまりにも人に嫌われたくないくせに自分にとって不都合になったら何も言わずに関係を切ったりだとか、所謂「生きにくさ」みたいなのを感じている。まあイマドキの子あるあるなのかもしれないけれど、いや、それにしてもじゃない?と一応学校も出て一般教養を持ち合わせている(だったらいいなぁ!)身としては頭を抱えてしまうことが増えた。ゆえに、このもやがかった頭を整理して、何なら脳内の引き出しに全てラベリングして統制された管理下に置きたいなぁなどと思うじゃないですか!ねぇ!

 

今は本当にネットの情報もひと昔前よりずっと増えているし、見つけやすくもなっているし、発信するひとも増えているわけだし、ちらっとそれっぽい単語で検索すればまーそれはそれは出てくる出てくる。「私ってもしかしてこれじゃん!」と思わせてくれる免罪符たち。

特にTwitter。引用も簡単だし単語だけでバシバシ該当ツイートが出てくるから報酬系よわよわな民としてはずーーーーっと眺めていられる。”もしかしたら”救いがあるのかもしれないなんて。金塊を求めて海を渡った十九世紀の人々の方がよっぽど現実的な勇気の持ち主であるような気がしてくる。

 

そんな中、最近気になるのが冒頭の「自他境界線の曖昧さ」。実はこの子はネットの海で拾ったわけではなく、友人との会話の中で「あなたは自他境界線が少し曖昧なのかもしれないね」という旨を告げられたことが最初の出会い。

その時点では私は自他境界線が何たるかに関して無知だったので、友人にさわりだけ教えてもらった後々調べてみたわけなのだけれど、あーなるほどなと思える事例が出てくる出てくる。

元々私は自身に対して発達障害(神経発達症という言い方に変わるらしい?)のASDを疑っていて、実際に診断を受けたことがあるわけではないけれど、確実にそのケはあるのだ。

そして、自他境界線について調べてみると、なかなかASDと絡んだ記事などに当たる。これは興味深いなということで、自分の何ともカオスな脳内整理の一環になればいいなという感じで言語化を試みている。試みているといっても、千三百字を超えてきた辺りで疲れてきてしまったというか、飽きが来てしまっているような、そんな一過的な衝動性に突き動かされただけの行動なのだけれど(ADHDのケも十二分にある)!

 

生きている実感に乏しいのは算命学や四柱推命でいう戌亥天中殺持ちというのも要因にあるのかもしれない。でも、何だか最近そういうざっくりとした属性だけではこのもにゃもにゃというか、地に足着けるためには引力が足りない感じがして。

元々何かを残すのは苦手なタチ。世界中から見つかったらどうしようみたいな不安がある。見つかっちゃったら怒られるかもしれない。怒らない甘々な理解者(ぶっている程度でも構わない)だけに見つけてもらいたい、みたいな気持ちがあって、一人から怒られるなら例え九十九人が褒めてくれたとしてもずっと反芻して記憶を薄れさせるのに半世紀くらいかけてしまうんだろうなという風に考えてしまう。いわゆる白黒思考なんだと思う。

 

いい言い方をすれば完璧主義。認められたいとか寂しくなりたくないとかも、いい言い方をすれば私の言語では「無償の愛が欲しい」なんだけど、最近色々勉強しちゃったせいでどうもこれは「都合のいい相手が欲しい」になるみたい!

というかむしろそっちの方がしっくり来てしまってショックを受けている。これもまた別の友人との会話の中で出てきて「都合のいい相手が欲しいの?」って訊かれた時にはっとした事案の一つ。そっか、私は自分を正当化していたのか、それはそれで別にいいけど見方を変えるとこうも言えるよってことを教えてくれた友人、ありがとう私は一つ賢くなりました。それはそれとして脳内と現実とのギャップについてのショックや努力の方向性とか具体的手段とか、新たな悩みは増えてしまった(笑) きっと超えなければならない、そういう星の流れが来ているのだろうと思う。

 

今回はこんなところにしておこうかなと思う。お風呂に入って寝る前に爪に油を塗って、明日もまた頑張って生きる。

アメリカ人の友人に「How are you?」と訊いたら「I'm surviving」と返ってきた。もちろん彼にも毎日大変なことはあるわけだけど、恐らくは穏やかな日常を過ごしているはず。そんな中で「最近ど〜お?」と訊いて「まあ、生きてるよ」と返してくれる、そんな気楽さに感謝を捧げる。

 

ねむねむ。